凱旋門賞ではその年のジョッケクルブ賞、アイリッシュダービーを制し、欧州3歳最強馬と評価されていたモンジュー、当年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス及びアイリッシュチャンピオンステークスをそれぞれ圧勝していた欧州古馬チャンピオンであるデイラミが出走した。 レースはモンジュー陣営のペースメーカーであるジンギスカンが先頭に立つ予定だったが、ジンギスカンが出遅れ、エルコンドルパサーが押し出されるような格好で先頭を進み、エルコンドルパサーをモンジューが後方から見る格好となった。これが功を奏し、単騎逃げで折り合った同馬は、最後の直線まで脚を溜めながら抜群の手応えでレースを進め、直線半ばでは更に後続を突き放した。モンジューはまだ馬群の中にあり、日本競馬の悲願がついに達成かと思われた。しかし残り200mでようやく馬群をこじ開けたモンジューが一気に追い込み、ゴール前でついにエルコンドルパサーを捉えた。結局半馬身差でモンジューが優勝、エルコンドルパサーは2着となった。 2着に敗れはしたものの凱旋門賞の3歳と古馬の斤量差(エルコンドルパサーが59.5キロであるのに対し、モンジューは56キロ)や、3着馬との間につけた6馬身差(4着はさらに5馬身差)により、現地のメディアから「2頭チャンピオンが存在した」という評価を受けた。 (ウィキペディア引用) エルコンドルパサーに賛辞を贈るとき、誰もが悩む。名牝のクロスに象徴されるような血の配合の妙。「品格」を感じさせる佇まい。フランスに半年も滞在して見事すぎるほどの成果をあげた「チーム」全体の努力。……ありったけの言葉で彼や彼に関わった人々を称えようとしても、まだ何かが足りないような気にさせられる。 競走成績は、11戦8勝、2着3回。わずか3年の競走生活だったが、その中身の濃さは特筆に値する。ジャパンカップやサンクルー大賞での堂々たる勝ちっぷり。凱旋門賞(2着)で見せた粘り強さ。距離適性やコース適性の点でも懐の深さを示した、正真正銘、世界トップクラスの能力の持ち主だった(フランス遠征がなければ、こんな書き方は今もできない)。種牡馬生活もわずかに3年。平成14年の夏、7歳の若さで急逝してしまった。あまりに早すぎる死ではあったが、それでも、中身の濃い、充実した生涯だったことだけは間違いない。 名馬の条件のひとつとして「ライバルに恵まれていたかどうか」という点も、無視できない。常に楽勝していても、相手が弱いメンバーであったなら、その馬の強さを語るとき説得力を欠く。しかし、その点においても、エルコンドルパサーは恵まれていた。フランスで戦った強豪たちもさることながら、国内においても、充分ライバルに恵まれていたのだ。グラスワンダーとサイレンススズカがいたからである。前者は同期、後者は1歳年上の強豪であった。この3頭が一堂に会したレースは10年の毎日王冠のみであり、レースはサイレンススズカの“圧逃劇”で幕を閉じた(エルコンドルパサー2着、グラスワンダー5着)のだが、振り返れば貴重な対戦だった。サイレンススズカは周知のとおり、次走の天皇賞(秋)で、自らのスピードに彼の脚元が耐え切れず、逝ってしまう。筆者は当時、あの「逃げる大横綱」に、エルコンドルパサーやグラスワンダーが、今後どこまで迫り、どんな名勝負を見せてくれるのか、そんなわくわくするような未来像を脳裡に描いたものだ。だから平成10年は、筆者の胸のなかでは「幻の3強」の年。ジャパンカップで退けた相手には、同期のダービー馬スペシャルウィークも含まれていたのだから、エルコンドルパサーはやはり本当に、ライバルには恵まれた馬。彼の強さを語ろうとするとき、「一期一会」のライバルたちのことも、不思議と懐かしく思い起こされるのである。 (JRAより引用) PR
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